方丈記(嵯峨本) 4

方丈記 | 日本古典籍データセットから

方丈記/10
翻刻
たれ共資財を取出るに及はす七珍
萬寶さなから灰燼と成にき其費へ
いくそはくそ此度公卿の家十六燒
たりましてその外は数しらすすへて
都の中三分か一に及へりとそ男女
死ぬる者数千人馬牛の類ひ邊際を
しらす人のいとなみみな愚なる中
にさしもあやうき京中の家を作る
とて寶を費し心を悩ます事は
すくれてあちきなくそ侍るへき又
治承四年夘月廿九日のころ中御門
京極の程より大なる辻風をこりて
六條わたり迄いかめしく吹ける事
侍りき三四町をかけて吹まくる間
に其うちに籠れる家とも大なるも
ちいさきも一としてやふれさるは
なしさなから平にたふれたるも
ありけた柱はかりのこれるもあり

濁点・句読点付加
たれ共、資財を取出るに及ばず。七珍
萬寶さながら灰燼と成にき。其費へ
いくそばくぞ。此度、公卿の家十六焼
たり。ましてその外は数しらず。すべて
都の中三分が一に及べりとぞ。男女
死ぬる者数千人、馬牛の類ひ邊際を
しらず。人のいとなみみな愚なる中
に、さしもあやうき京中の家を作る
とて、寶を費し、心を悩ます事は、
すぐれてあぢきなくぞ侍るべき。又
治承四年夘月廿九日のころ、中御門
京極の程より、大なる辻風をこりて、
六條わたり迄いかめしく吹ける事
侍りき。三四町をかけて吹まくる間
に其うちに籠れる家ども、大なるも
ちいさきも一としてやぶれざるは
なし。さながら平にたふれたるも
あり。けた、柱ばかりのこれるもあり。