方丈記(嵯峨本) 四段

 大かた、このところに住初すみはじめし時は、白地あからさまと思ひしかど、今迄にいつとせをたり。かりいおりもやゝふる屋となりて、軒にはくち葉くちば深く、土居つちい苔むせり。をのづから事の便たよりにみやこを聞ば、此山にこもりゐてのち、やむごとなき人のかくれ給へるもあまたきこゆ。ましてその数ならぬたぐひ、つくしてこれをしるべからず。たび〳〵の炎上にほろびたる家、又いくそばくぞ。たゞかりの菴のみ、長閑のどけくして恐れなし。ほどせばしといへども、夜ふす床あり、ひる居る坐あり、一身を宿すに不足なし。がうなはちいさきかひをこのむ。是よく身をしるによりてなり。みさごは荒磯あらいそにゐる。すなわち人をおそるゝによりてなり。我又かくのごとし。身をしり世をしれらば、願はず、まじらず、ただしづかなるを望みとし、うれへなきをたのしびとす。

すべて世の人の住家すみかを作るならひ、かならずしも身のためにはせず、あるひは妻子眷属眷属の為に造り、或は親昵しんじつ朋友のためにつくる。或は主君師匠、および財寶馬車のためにさへこれをつくる。われいま身のためにむすべり。人のためにつくらず。ゆえ如何いかんとなれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、たのむべきやつこもなし。たとひひろくつくれりとも、たれをか宿し、誰をかすへむ。

それ人の友たる者は、とめるをたうとみ、ねんごろなるをさきとす。かならずしもなさけあると、すなほなるとをば愛せず。たゞ糸竹花月を友とせむにはしかず。人の奴たる者は、賞罸のはなはだしきをかへりみ、恩のあつきをおもくす。更にはごくみあはれぶといへども、やすくしづかなるをば願はず。唯我身をやつことするにはしかず。もしすべき事あれば、すなはちをのづから身をつかふ。たゆからずしもあらねど、人をしたがへ、人をかへりみるよりはやすし。もしありくべき事あれば、みづからあゆむ。くるしといへども、馬鞍牛車とこゝろをなやますには似ず。今一身を分ちて、二の用をなす。手のやつこ、足の乗物、よくわが心にかなへり。こゝろ又身のくるしみをしれば、くるしむ時はやすめつ、まめなる時はつかふ。つかふとても度々たびたびすぐさず、物うしとても心をうごかす事なし。いかにいはむや、つねにありき、常に動は、これ養生やうじゃうなるべし。なむぞいたづらにやすみをらむ。人をくるしめ人を悩ますは、又罪業也。如何々いかが他の力をかるべき。衣食のたぐひ又おなじ。藤の衣、麻のふすま、うるにしたがひてはだへをかくし、野邊のつばな、峯の木の実、命をつぐばかり也。人にまじはらざれば、姿をはづくいもなし。かてともしければ、をろそかなれども、なを味をあまくす。すべてかやうの事、たのしく富る人に對していふにはあらず。唯我身ひとつにとりて、昔と今とをたくらぶるなり。大かた世をのがれ、身をすてしより、うらみもなくおそれもなし。命は天運にまかせて、おしまず、いとはず。身をは浮雲になずらへて、頼まず、まだしとせず。一期のたのしびは、うたゝねの枕の上にきはまり、生涯の海は折々の美景に殘れり。

それ三界さんがいはたゞ心ひとつなり。こゝろもしやすからずば、牛馬七珍もよしなく、宮殿望みなし。今さびしきすまゐ、一間のいほり、みづからこれを愛す。をのづからみやこにいでては、乞食となれる事をはづといへども、帰りてここるときは、他の俗塵ぞくじんに着する事をあはれぶ。もし人、このいへることを疑がはゞ、魚鳥の分野ありさをみよ。魚は水にあかず。うほにあらざればその心をしらず。鳥は林をねがふ。鳥にあらざれば其心をしらず。閑居の気味も又かくのごとし。すまずして誰かさとらむ。