方丈記(嵯峨本) 29

方丈記 | 日本古典籍データセットから

方丈記/35
翻刻
美景に殘れりそれ三界はたゝ心
一つなりこゝろもしやすからすは
牛馬七珍も由なく宮殿望みなし
今さひしき住ゐ一間の菴みつから
是を愛すをのつからみやこに
出ては乞食となれる事をはつと
いへとも帰りて爰に居るときは
他の俗塵に着する事をあはれふ
もし人此いへることを疑かはゝ
魚鳥の分野をみよ魚は水にあかす
うほにあらされは其心をしらす
は林をねかふ鳥にあらされは其
心をしらす閑居の気味も又かくの
ことし住すして誰かさとらむ抑
一期の月影かたふきて餘算山の端
に近し忽に三途の闇に向はむ時
何のわさをかかこたむとする佛の
人を敎へたまふおこりは事に

濁点・句読点付加
美景に殘れり。それ三界はたゞ心
一つなり。こゝろもしやすからずば、
牛馬七珍も由なく、宮殿望みなし。
今さびしき住ゐ、一間の菴、みづから
是を愛す。をのづからみやこに
出ては、乞食となれる事をはづと
いへども、帰りて爰に居るときは、
他の俗塵に着する事をあはれぶ。
もし人、此いへることを疑がはゞ、
魚鳥の分野をみよ。魚は水にあかず。
うほにあらざれば其心をしらず。鳥
は林をねがふ。鳥にあらざれば其
心をしらず。閑居の気味も又かくの
ごとし。住ずして誰かさとらむ。抑
一期の月影かたぶきて、餘算山の端
に近し。忽に三途の闇に向はむ時、
何のわざをかかこたむとする。佛の
人を敎へたまふおこりは、事に