わが身、父方の祖母の家を傳へて、久しく彼所に住。其後緣かけ身おとろへて、しのぶかた〴〵しげかりしかば、つゐに隠とむる事を得ずして、三十餘にして、更に我心と一の菴を結ぶ。是を有し住居になづらふるに十分が一也。たゞ居屋斗をかまへて、はか〴〵敷は屋を作るに及ばず。わづかについひぢをつけりといへ共、門たつるにたづきなし。竹を柱として車宿りとせり。雪降風吹毎にあやうからずしもあらず。所は川原近ければ水の難ふかく、白浪の恐もさはがし。すべてあらぬ世を念じ過しつゝ、意をなやませる事は三十餘年也。其間折々のたかひめに、をのづからみじかき運をさとりぬ。すなはち五十の春を迎へて、家を出世をそむけり。本より妻子なければ捨がたきよすがもなし。身に官祿あらず、何に付てか執をとゞめむ。空敷大原山の雲に、いくそばくの春秋をか経ぬる。
爰に六十の露消方に及て、更に末葉のやどりを結べる事あり。いはゞ狩人の一夜の宿を作り、老たるかいこのまゆをいとなむがごとし。是を中比の住家になずらふれば、又百分が一にだにも及ばず。とかくいふ程に、齢は年々にかたぶき、栖は折々にせばし。其家の有様よのつねならず。ひろさはわづかに方丈、高さは七尺がうち也。所を思ひ定めざるが故に、地をしめて作らず。土居をくみ、打おほひをふきて、つぎめごとにかけがねをかけたり。若心に叶はぬ事あらば、安く外に移さむが為也。其改め造る時、いくばくの煩かある。つむ所わづかにニ兩也。車の力をむくふる外は、更に用途いらず。今、日野山の奧に隠をかくして、南に假の日がくしをさし出して、竹のすのこをしき、其西に閼伽棚を作り、中には西の垣に添て阿弥陀の畫像を安置し奉りて、落日を請て眉間の光とす。彼帳のとびらに、普賢並に不動の像をかけたり。北の障子の上に、ちいさきたなをかまへて、くろき皮籠三四合を置。すなはち和哥、管弦、徃生要集ごときの抄物をいれたり。傍に筝、琵琶、をの〳〵一張をたつ。いはゆるおりごと、つぎ琵琶これ也。東にそへて、わらびのほどろをしき、つかなみを敷て夜の床とす。東の墻に窓をあけて、爰にふづくゑを作りいだせり。枕のかたにすびつあり。是を柴折くぶるよすがとす。菴の北に少地をしめ、あばらなるなるひめ墻をかこひて園とす。則諸の薬草を栽たり。假の菴のあり様かくのごとし。
其ところのさまをいはゞ、みなみにかけ樋あり。岩をたゝみて水をためたり。林軒近ければ、妻木をひろふにともしからず。名を外山といふ。正木のかづら隠を埋めり。谷しげゝれど、西は晴たり。観念のたよりなきにしもあらず。春は藤波を見る。紫雲のごとくして、西のかたににほふ。夏は時鳥を聞。かたらふごとに、しでの山路を契る。秋は日ぐらしの聲耳にみてり。空蟬の世をかなしむと聞ゆ。冬は雪を憐む。つもり消るさま、罪障にたとへつべし。若念佛物うく、讀経まめならぬときは、みづからやすみ、みづからをこたるに、さまたぐる人もなく、又耻べき友もなし。殊更に無言をせざれども、獨をれば口業をおさめつべし。かならず禁戒を守るとしもなけれども、境界なければ、何に付てかやぶらむ。若隠の白浪に身をよする朝には、岡の屋に行かふ舩をながめて、満沙弥が風情をぬすみ、もし桂の風、ばちをならす夕には、潯陽の江を想像て、源都督のながれをならふ。若あまり興あれば、しば〳〵松のひゞき秋風の楽をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。藝は是つたなければ、人の耳を悅ばしめむとにもあらず。ひとりしらべ、獨詠じて、みづからこころをやしなふ斗也。
又、麓に一の柴の菴あり。則此山守が居るところ也。かしこに小童あり。時々來て相とぶらふ。もしつれ〴〵なる時は、是を友としてあそびありく。かれは十六歳、われはむそぢ、其齢事の外なれど、こころを慰むる事、これ同じ。或はつ花をぬき、岩なしをとる。又ぬかごをもり、芹をつむ。或はすそ川の田井に至て、落穗をひろひてほぐみを作る。若日うらゝかなれば、嶺によぢ上りて、はるかに故郷の空を望み、木幡山,伏見の里,鳥羽,々束師をみる。勝地はぬしなければ、こゝろを慰さむるに障りなし。あゆみ煩なく、志遠く至るときは、是より峯つゞき、すみ山を越、笠取を過て、岩間にまうで、石山をおがむ。もしは又粟津の原を分て、蝉丸翁が跡をとぶらひ、田上川を渡て、猿丸大夫が墓をたづぬ。帰さまには、節につけつゝ、桜をかり、紅葉をもとめ、蕨を折、木の実をひろひて、且は仏にたてまつり、且は家づとにす。
もし夜しづかなれば、窓の月に古人をしのび、猿の聲に袖をうるほす。草むらの蛍は遠く真木の嶋のかゞり火にまがひ、暁の雨は、をのづから木葉吹嵐に似たり。山鳥のほろ〳〵と鳴をきゝて、父か母かとうたがひ、みねのかせぎの近くなれたるにつけても、世にとをざかる程をしる。或は埋火をかきをこして、老の寝覚の友とす。おそろしき山ならねど、ふくろうの聲をあはれふに付ても、山中の景気、折につけても尽る事なし。いはむや深くおもひ、ふかくしれ覧人のためには、是にしも限るべからず。