方丈記(嵯峨本) 13

方丈記 | 日本古典籍データセットから

方丈記/19
翻刻
より西朱雀より東の道の邊にある
頭すへて四萬二千三百餘なむあり
ける況や其前後に死ぬるものも
多く河原白川西の京もろ〳〵の邊
地なとをくはへていはゝ際限も有
へからすいかに況や諸國七道をや
近くは崇徳院の御位の時長承の比
かとよかゝるためしは有けると聞と
その世の分野はしらすまのあたり
いと珍らかに悲しかりし事也
また元暦二年の比大なゐふる事
侍りき其様つねならす山くつれて
川をうつみ海かたふきて陸をひた
せり土さけて水わきあかりいはほ
われて谷にまろひ入り渚こく舩は波
にたゝよひ道行駒は足の立とを
まとはせり況や宮古の邊には在々
所々堂舍塔廟一として全からす

濁点・句読点付加
より西、朱雀より東の、道の邊にある
頭、すべて四萬二千三百餘なむあり
ける。況や其前後に死ぬるものも
多く、河原、白川、西の京、もろ〳〵の邊
地などをくはへていはゞ、際限も有
べからず。いかに況や諸國七道をや。
近くは崇徳院の御位の時、長承の比
かとよ。かゝるためしは有けると聞ど、
その世の分野はしらず。まのあたり
いと珍らかに悲しかりし事也。
また元暦二年の比、大なゐふる事
侍りき。其様つねならず。山くづれて
川をうづみ、海かたぶきて陸をひた
せり。土さけて水わきあがり、いはほ
われて谷にまろび入り、渚こぐ舩は波
にたゞよひ、道行駒は足の立どを
まどはせり。況や宮古の邊には、在々
所々、堂舍塔廟一として全からず。